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子ども時代の人間関係、習い事と学校で人間関係をわけるすすめ - ちま母は娘たちとアタリメパズルがしたい

子ども時代の人間関係、習い事と学校で人間関係をわけるすすめ

この記事は約4分で読めます。

主人と昔話をしていたら、進学先と塾の話になりました。

それから人間関係の話になったので、まとめてみようと思います。

ちまちまの昔話

私・ちま母は小中高と家から近い公立の学校に通っていました。
幼稚園だけ私立でしたね。

当時は市外からの流入者はほぼなく、近所の子どもたちは、だいたいみんなその幼稚園に通い、小中に通い、高校は散り散り、という感じでした。
(12年、同じ学校~なんて子もありふれてました。年少~中3。一人だけ年少~高3同じ学校の子もいました。)

一昔前の片田舎なので、あまり人生のバリエーションはなかったですね。

私は家から一番近い公立高校に、近さだけで学校を決め、通いました。
真面目に3年通い、進学。

しかし、私が卒業した高校からは四年制大学に進む生徒は数えるほどです。
もともとのレベルが高くない公立高校には、進学をするために通う生徒はほぼいません。
中卒はちょっとなぁ、という理由で高校に通っている、そんな感じです。
専門学校や短大に進学する子が多かったですね。

医学部に行く子は皆無で、薬学部に行く子も私が一人目。
先生方から「夢を叶えた子」というレッテルを貼られていました。

ショックを受けた担任の先生の発言in三者面談

忘れもしない高3の三者面談の時。

大学入試を視野に入れたこの時期に、
担任の先生から開口一番「浪人もいいぞ」「先生も浪人したし」と言われ、
母娘そろって「この先生はあてにならん!」と憤りました。

しかし、大人になってから主人から、
主人「その高校からしたら実績のない進学先だし、無理のきかない女子生徒だし、先生も立場なりに妥当な指導をしたと思う」
という評価をもらい、唖然としたものです。

話はそこから、「なぜ、その学校の影響がゼロにできたか?」に飛びました。

主人にしてみたら、
・教科を教える先生は学校で共通なのだから、そこに有利不利はないはず。→塾がよかった?
・同じ高校の子と接していると、「私にも無理」という同調圧力がかかるものだが、なぜ影響がなかった?→友だちがよかった?ちまが鈍かった?

友だちは良かったと思う。友だちと勉強の話はしたことない。
集まったらワイワイ騒いでいただけだし、コロナがなければ、今も年一回くらい会って飲み会してたはず。

主人も私の友人と面識があり、
「特に足を引っ張ることもなさそうだし、コミュ力も普通」(ほめてる)
という評価でした。(何様だw)

塾は市外にある自習塾。
塾に着いたら、先生に「この分野をやります」と宣言。
ついたてで仕切られた一人分のブースに着席し、途中で疑問があったら先生のところまで聞きに行く。
帰る時に「ここまでやりました」と報告。

時には、落書きをしたり、小説を書いたり、それが見つかったり、
先生の人生観を長々語られることもありました。(これは一度だけ)

受験前は数学をしていることが多かったです。
合格したあとも通い続け、生物をやりました。
(高校が物理を選択したら生物がとれなかったため)

その話を聞いて、ピンと来た主人。
主人「そうか、家の近所の塾じゃないんだ」
ちま「うん、そうだよ?」

その反応を受けて、ピンと来たちま母。
ちま「そうだ、私の母親の方針だったんだよ!」

親の方針「学校以外の人間関係を作る

私の母はよく、「学校以外の人間関係を作る」
ということに重きを置いていました。
なので、習い事は、市の境界をまたいで習い事に行っていました。

小~中と5年にわたって続けていた器械体操も市外でした。

母の言葉で印象的なものは、
「よく学校でいじめや自殺が問題になるが、それは学校以外の人間関係をもたないからだ」
「学校で仲が良い人がいなくても、別のところで別の人間関係があれば、人は生きていける」
というものがありました。

私も小学校では体が小さかったので、女子グループにも入らず、フラフラしていました。
みそっかすのような立場で、しがらみがなくて楽に感じる時もあれば、連帯感から外れるさみしさもありました。
(今ではトレードオフだって知ってますけどね)

その反面、器械体操では、練習チームの中でいちばんの年上。
お姉さんらしく下の子の面倒を見る場面もあれば、
ムードメーカーのような役目を担う場面もありました。
週6日通っていたので、今思うと学校と同じくらいの頻度でしたね。

学校で嫌なことがあった日でも、習い事に行けばそのことを知っている子は一人もいません。
いつもと同じみんなにいつもと同じように接していると自然と学校で起きた嫌なことは薄れていってしまい、いつもの元気な自分に戻れるのです。

私は精神面の発達も人よりゆっくりだったので、数時間かけてリセットできたこの時間は貴重だったのではないか?今ではそう思います。

じゃあ自分の子どもはどうか?

・・・と思い返した時に、気になるのは自分の子どものこと。

幼稚園は市外だし、学校も市外。

その反面、習い事は近所なので、休日に同じ学校の子と会うのはほぼありません。
遊ぶ約束をすれば別ですが。

あえて言うなら兄弟の存在ですかね?
夜、三姉妹でもっちゃもっちゃとじゃれている姿を見ると、
学校で起きた嫌なことを引きずっているようには見えないのですが、
どうなのでしょう?

主人に聞いてみたいと思います。

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