冬休みに家族旅行(車+強行軍)で京都へ
冬休みを利用して、家から遠く離れた京都まで車で行ってきました。
休憩を入れて8時間の移動。
大人でもダレてしまう長時間をごまかす手段は動画でした。
タブレットで動画を見せながら移動。
車や動画で酔う子がいなかったのが幸いして、平和に移動することができました。
京都(よりの大阪)で一泊。
目的地周辺に着いてからも移動に時間がかかることが予測できたので、動画は引き続き見せていました。
NETFLIXは一定時間、見続けていると「まだ見ていますか?」というポップアップが出て動画が止まってしまいます。
家庭で流し見をしている場合は、途中で席を立ったり、居眠りをしてしまうことが考えられます。
電池や通信の節約になるので、この点では優れている機能と言えるでしょう。
しかし、今は車内で途中で席を立つことなく見続けているわけです。
その動画が止まったタイミングで
いちこ「おかあさーん!動画が止まったよ!」
といちこが言います。
それまでは、手が空いていたり、手が空くまで待ってもらったりして、「視聴を続ける」ボタンを押していました。
が、その時は慣れない道を駐車場を探して走っている最中でした・・・。
いちこ「おかあさーん!動画止まったよ!」
ちま母「はーい、待っててね」
いちこ「ねー、まだー?動画止まってるよ」
ちま母「今は無理〜」
いちこ「えー動画止まってるのに」
主人「今、駐車場を探しているんだから少し待ちなさい」
いちこ「えー続き見たい」
主人「しつこいうるさい」
いちこ「・・・」
主人「自分でしなさい」
いちこ「べそ・・・どこ押したらいいかわからない」
主人「自分で探しなさい。自分でできないのなら待ちなさい。」
いちこ「べそべそ・・・」
・大人は慣れない車通りの多い道を駐車場を探して走っている。
・しつこく声をかけられてもいちこに割けるリソースはない
・声をかければ最優先に動いてもらえると思うな
という旨を淡々と説明する主人。
シクシクする長女・いちこ。
私も主人と同じく・慣れない道・立ちはだかる一方通行で脳はいっぱいいっぱい。
そこへいちこの「まだー?」コールが続くとイライラしたり、ハンドル操作を誤りそうだったのも事実です。
主人「見たいのなら画面を操作しなさい。やり方がわからないなら試行錯誤しなさい」
いちこ「・・・(黙ってタブレットから顔を背ける)」
主人「動画を見ないなら画面ロックしなさい。電池の無駄。電池が終われば見たくても見たくなくても見れないけどね」
三十三間堂のわきまで来てましたが、長女・いちこがこんな感じだったので見ずに帰りました。
(次女・によは寝てたので、三十三間堂を見ている間、私と車で留守番する予定でした。)
三十三間堂は子どもが見てもおもしろいと思うんだけどなあ。
グーグルで画像検索していちこに見せましたが、プイってされました。
ともかく今回は三十三間堂はパスして、金閣寺へ向かいました。
その車中でも話し合いは続く。
主人「そんなにタブレットが見たいのなら、お父さんの部屋で見よう。」
いちこ「・・・グス」
主人「動画を見たいのならずっと見てていい。そのかわり長距離のドライブにはいちこは連れていけない。しつこく声をかけ続けられると危険だから。わかるね。」
いちこ「・・・いまどこにむかっているの・・・?」
(そうは言っても行き先は変わらないと思っている)
主人「お父さんの部屋とお寺(金閣寺)が同じ方向にあるからここまで同じ道だったけど、そろそろ曲がるよ」
いちこ「・・・」
主人「お父さんの部屋に来てもいちこ一人にはしないし、食事も用意する。でもお寺は見られない。」
いちこ「・・・」
主人「君はどうしたいの?」
いちこ「シクシク・・・」
質問「動画見たいんでしょ?」
答えの予想 いちこ的にはもちろんイエスなんだけど、親の機嫌を損ねてまでは見たくない様子。
かといって、ノー(見たくない)は完全にウソなので、いちこ的にはそう言いたくない。(いちこは見え透いたウソは言えないタイプ)
この正解のない問答にどっちに転んでもアウトそうな空気。
『そんな空気を感じ取ったいちこは泣くしかないだろうなあ。かわいそうに』、と思いつつも傍観する私。
教育方針について、大人が子どもの前でぶれないように注意してます。
(母娘vs主人という図は避けたいし、父母vs子どもという図式も避けたい。どっち付かずは苦肉の策です。)
(もちろん互いに限度を超えた時は割って入るつもりでいます。)
最終的に
・操作がわからない時や動画が不意に止まった時などは声をかけていい
・『後で』となった時はそれなりの理由があるのだから、しつこく声をかけない
・タブレットくらい教わらなくてもどうにかしろ
ということに落ち着き、
「みんなで金ピカのお寺(金閣寺)を見に行く」ことになりました。
最後に
主人「本当ならこういうのはゆっくり身につけていくものだった。
今日は1日でわかってもらうために負荷をかけすぎたね。泣かすつもりはなかったんだ。ごめんね。」
と主人から限定的な詫びが入り、一件落着しました。
私的には
途中までは『厳しいなー』と思ったけど、最後の限定的な詫びは『いらなかったんじゃないかな?』と思いました。
最後の詫びのところは、(主人にそんなつもりは一切ないこと重々承知だけど、)「泣いたから追及の手が緩んだ?」ともとれる流れだったので、『ちと微妙かな?』と思ったのでした。
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