休日はなるべくお出かけして、体を動かすようにしています。
しかし、このときは三女・さんこがなんとなく調子が悪かったので、家でゆっくりすることにしました。
出かけるかどうか?出かけるなら、どこに誰と行くのか?行き先は?
このへんの話し合いで次女・によがわがまま(あとで本人なりの考えがあったことが判明しました)を言い、私・ちま母の対応が整合的でなかったため、次女・によが勢いで主人を印象批判するに至ったときのことです。
久しぶりに主人よりがっつり叱責を受けました。
子どものわがままに振り回されているかも!?と思うお母さん、必見です!
まとめると、「わがままに主張することは許されても、根拠なき印象批判はダメ。ということは、規律としてしっかり伝えよ」ということです。
印象批判とは聞き慣れない言葉ですが、要は「発言には責任が生じますよ」という話です。
子どものわがまま
朝食を食べたら『朝くもん』の時間。
この前、習得した時間管理術を使い、朝くもんは順調にクリア。
→「何分でやる?」子どもに時間の管理を教える
※ 次女・によも同じシステムでやるようになり、さくさく終わることが増えました。
朝くもんのあと、家でまったりしていたところ、時間を持て余した次女・によから、お出かけの提案が。
によ「たこ公園に行きたい」
(幼稚園の近くの住宅街にある公園。家からは車圏内)
おばあちゃん「駐車場がないねえ。ぐるぐる公園は?」
(駐車場がある公園。車圏内)
によ「ぐるぐる公園は北風が寒いよ!」
ちま母「ドラッグストアに行くつもりだったから、連れてったら?」
によ「カチオン(ショッピングモール・仮名)に行きたい」
ちま母「たこ公園でおばあちゃんが車の中から見てるんなら大丈夫では?」
によ「カチオンがいい!カチオンがいい!」
おばあちゃん・ちま母「ええー・・・」
おばあちゃんと私・ちま母がとっかえひっかえで代案を出す感じに。
話し合いの結果、『おばあちゃんが公園と買い物に連れてって、帰りにマックポテト』、ということで落ち着きました。
わがままをなだめ、落とし所を探す、ママとバァバ。
こんな風景。割とあるあるだと思うんですが。
主人に連絡がついたので、この日の流れを説明すると、チェックが入りました。
子どものわがまま→これはまだいい
主人に連絡がついたので、この日の流れを説明。
主人「ぜんぜんだめ。」
主人「子どものわがままに振り回されてどうするの?
これから先どんどん困ったことになるよ
三女・さんこの規律にも影響するんだよ」
主人「まあね。言わないよりは言えたほうがいいんだけど。
『発言は自由であるべき』っていう前提があるからね。」
おとうさん拒否=規律違反
主人「俺からも聞いてみるよ。こっち(主人の部屋)まで来るように言って。
お父さん起こしてきなって。」
によ「やだ、お父さんいや!」
ちま母「嫌なんだって、(長女)いちこが行くよ」
主人「何でそうなる・・・
どうして(次女)によが『おとうさんいや』って言ったかわかっている?
他の大人ならどうにかなるのに、お父さんはわがままが通らないからそう言っているんだよ?」
ちま母「うん、まあ、そうだろうね」
主人「(次女)によにこっち(お父さんの部屋)に来るように言って」
によ「おとうさん、くさいからいや!」
ちま母「くさいからいやなの?」
によ「おひげがくさいからいや!」
ちま母「おひげがくさいから嫌なんだって」
主人「何やってるの!
(長女・いちこに聞いてみると「ひげがくさいとは思わない」と確認できたのと、最近「お父さんイヤー」となるような出来事の覚えもなかったので)
今回の「くさい」は印象批判だよ!?
それは(次女)によが「我欲を満たすために印象批判で人格否定をしている」ということ。
正当な理由なく父親である俺がディスられているということ。
「お父さんいや」を放置しちゃだめ。
ちま母「えっ」
主人「おとうさんがディスられた時に訂正できるのは君だけなんだよ。
俺がディスられた時に俺が訂正したらおかしいでしょ?
ちま母「まあ、変だね」
主人「まあ、理論的に反すのも可能なんだけど根本的に説得力に乏しくなるんだよ。(ちま母『できるのかよ・・・』)
それは、お母さんが『規律違反である』と叱るべきところ!」
ちま母「逆に私がディスられている時は、何かしているのか?」
主人「もちろん、している(きっぱり)」
ちま母「・・・(影でディスられてたんだ)」
主人「おとうさんを印象批判でディスるということは、おとうさんが与えている、『プラスアルファの恩恵』をすべて拒否するということ。
カットされても文句が言えないということ。」
ちま母「そうなるの?」
主人「『くもんがいや』、『そろばんやめたい』という時も同じ。
くもんやそろばんと一緒に与えている恩恵である、
ピアノやプールも拒否するということ。」
主人「わかりやすく大人の世界(会社員)に照らし合わせて言うと、
基本給がごはんやお風呂。
ボーナスがくもん、そろばん、ピアノ、プール、キャンプだね。
基本給は余程のことがない限り下がることはないけど、ボーナスは業績に応じて上下する。ないこともありうる。
『プラスアルファの恩恵』はボーナスにあたる。」
ちま母「それはわかりやすい」
主人「今日のくもんをしなかったからといって、ごはん抜きはおかしい。
そろばんを嫌がったから家に入れないとかもおかしい。
それはわかるね?」
ちま母「さすがにわかる」
主人「習い事をさせている理由の一つでもある。
プラスアルファの恩恵がないと、削るところがなくなってしまうからね。
そうなると、それこそ「ごはん抜き」や「お風呂なし」とかしかできることがなくなり、
それは誰が聞いても立派な虐待になってしまう。」
主人「わかるね?」
ちま母「わかるぅー」
主人の発言の解説
かいつまんで言うと、
大前提として、『自由に発言できるということは良いこと』。
子どもはわがままを言うものだし、言える環境というのは(言えない環境よりはよほど)喜ばしいこと。
自分と他者(自分以外の人物など。お父さんも含まれる)を印象批判でディスるのはダメ。規律違反。
お父さんがディスられた時は、お母さんがフォローする。(逆も然り)
自分でフォローするのは変。
(大人同士の会話でも変ですよね。「そうは言っても、私にも良いところがあるよ!」とか何の説得力もないw)
「そういうこと言っちゃだめなんだよ」という言論統制は『したいこと』ではない。
むしろ問題を隠し、根深く長期化することに。表に出てこなくなりますからね・・・。
こういう時って「子どもに言わせなきゃいいんでしょ」で済ませたくなるものだと思うのですが、臭いものに蓋では、のちのち厄介のタネになるので注意。
自由な発言とディスりは大人でも難しいですよね。
よく報道とかでも「いじめ」を「いびり」だったり「本人も喜んでいた」という言い訳??新事実??が必ず出てきますね。
他者にも当事者にも区別がつかないのです。
(知るは被害者本人のみ、と)
わかりにくいので具体例をあげると、
「おとうさんのおひげ、いやー」はOKで、
理由もなく「おとうさん嫌いー」はNG。
わかりますか・・・?
「ヒゲがいや」で「剃ってほしい」ならおとうさんの否定にはならないですね。
「おとうさん自身がいや」は完全におとうさんの否定になっています。
ましてや、「ひげがくさいから話ししないー」など言語道断。理由になっていない、とのこと。
言葉上としては差が微妙なので、見逃さないようにしないと・・・。
おとうさんいや→おとうさんを印象批判でディスる
ということは、おとうさんが印象批判で『次女・によに与えている、プラスアルファの恩恵』をすべてカットされても文句は言えない、ということ。
プラスアルファの恩恵・・・習い事全般。
子どもが主導で始めた習い事だけでなく、
親主導で始めた習い事もやめる。
規律違反した時のボーナスカットの考え方
基本給にあたるもの・・・カットできない(すべきでない)
例)ごはんやお風呂など
ボーナスにあたるもの・・・カットが可能
例)くもん、そろばん、ピアノ、プール、キャンプなど
問題点の再確認
上記のことを伝えて、「一度発言したことは取り返せない。君の発言は決して軽くない。
印象批判のディスりはそのまま君にはね返ってくる。それでもおとうさんを拒否するのか?」と問う。
そしてそれをするのはこの場合、お母さんの仕事。とのこと。(逆も然り)
おまけ
『くもんやめたい』、『そろばんやめたい』の時も同様
「それなら一緒にピアノやプールもやめてもらうことになるけど」と伝える。
それでも子どもがやめたいと意見を変えなかった時にはやめる。
(実際は子どもに内緒で休会という形になると思いますが。その場合、休会バレはご法度ですね。
親の説得力がなくなってしまいます)
お父さんも一家の仲間。尊重しよう
おとうさんを軽く扱うおかあさんとこども
尻に敷かれるおとうさん
そこに甘んじるおとうさん
そんな情景、割とよくあると思うのですが、
(私の身の回りだけでしょうか?)
何を言われても怒らない主人に私が普段から甘えてて、軽口も叩いていました。
それが子どもに伝わり、なあなあになってしまったのが原因だと思われます。
『発言は自由であるべき』という大前提はこれからも続くのですが、
今回は子どもがその『お父さんをディスる』という最低ラインを突破したのを私が放置したのがよくなかったようです。
わがままは自由な発言にあたるので、無罪なのですが、
ディスるのは秩序・規律の問題で有罪。
くれぐれも「主人がムカついたから怒った」わけではないので注意。
親しき仲にも礼儀あり。というわけですね。
あると便利というか最期の砦!?『父親の立場』
子どもの発育に欠かせない『父性』。
有効に使いたいですね。
普段から軽く扱ってるおとうさんがいざという時に子どものために動いても、子どもが本気になってくれません。
子どもは自分にとって重要度の低いものはスッパリと影響を受けなくなります。
それは子どもにとってもお母さんにとっても支えが一つなくなるわけですから不利益です。
普段からおとうさんの存在を大事に扱い、いざという時に頼れる存在として認知しましょう。
そしてそれができるのは「お母さん」だけなのです。
そして世のおとうさんも(普段言われっぱなしだとしても)最低ラインは守り、子どもの成長の礎となりましょう!
冒頭のエピソードの続き(子どものわがままの裏の考え)
上記のエピソードの続きです。
ここまで大ごとになった次女・によの何気ない?とっさに出た一言。
ここまで大ごとになったおかげ?で、次女・によに大人を振り回したわがままにも理由があったことが判明しました。
お出かけ先の相談の時、唐突に「カチオン(ショッピングモール)がいい!」と主張しだした次女・によですが、
どうやら話しの流れからして、
『駐車場はあったほうがいいらしい』
『北風が寒い公園は付き添いの大人がかわいそうだ』
という条件を次女・によなりに考えた結果、
『カチオン(ショッピングモール)なら最適だろう』という結論に至ったようでした。
その時は突然話が飛んだので「もう気が変わったの?!」と怒りモードでしたが、
互いに落ち着いて話を聞いたら、によの考えがでてきました。
意外と考えてたんだな・・・(失礼)
しかし、『自分一人で行ける環境(場所や安全面で)』ならまだしも、
大人の手を借りて行く場所については、大人が行き先を決めるもので、
子どもの案を採用することはあっても、子どものいいなりになって行く場所をころころ変えるのは良くないそうです。
これも注意しないとですね。
頭ごなし・二つ返事でダメと言うのではなく、『ちゃんと説明するように』と主人からのお言葉でした。
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