不要な大学に行かない!その分、身につける幼児教育とは?

前半では、

大卒にはアドバンテージがなくなる。

という話をまとめました。

まだお読みになっていない方はこちら

後半では、

ではどんな教育をつけるか?

幼児教育は必要なのか?

についてまとめたいと思います。

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大学よりも大切な「これからを生きる方法」

では、大学に行かない分、何をするのか?

うちでは雇用で働く前に、自力でお金を作るという経験をしてもらおうと思っています。

これだけ聞くと
「学費用意しなくていいなんて、パチンコにたくさんつぎ込めるわーん。いざとなったら本人にバイトしながら学校に行ってもらえばいいんだし!」
という人と混同されそうなのですが・・・。

これは学校に行かせないでアイドルやグラビアなど、本人の無知につけこんだり、本人が望まない仕事をさせるのとは全く違います。

アルバイトをして学費を稼いでいる苦学生さんとも違います。

そういうケースとはある意味正反対になります。

若い頃、お金を稼ぐ方法といえばアルバイトですが、
アルバイトをしてほしいわけではありません。

ありていに言えば、投資の感覚を身につけてもらいます。

もし大学に行きたかったら、親に投資効果を踏まえた説得力あるプレゼンをし、出資を乞うのが前提です。
まずは子どもにはプレゼンという通過儀礼が必要であることを納得してもらう必要がありますね。

そうした意識こそが自立の表れだと思っているし、自然とそうなっているような育て方をしたいと思っています。

うちの方針は、
「学費全てを自分の稼ぎでまかなえとは言わないが、もし奨学金制度を使うとしても、『市場感覚』『付加価値をつける実践』はさせる」

という方針だからです。

意味合いとしては私たち夫婦が子どもに課す試験ですね。
支援のやり方や規模を決めるために、期間も手間もかけてしっかりとテストするつもりでいます。

これは、『表層的な知識を問うタイプの入学試験』や、『薄っぺらく人間性を問うような入社試験』と比較するようなものではないです。
夫いわく、「外国の本気の試験とか投資基準を参考に設計する」とのことですが・・・

頼もしい親心を感じます。

私たち夫婦の考え方では、『高卒くらいの成長段階で子育てが終わるつもり』で育てています。

そこから先はひとり立ちをして、金銭的にも自立をしてもらいます。
少なくともそう決めるのです。

何かしらビジネスをしてもらうと思うのですが、一応内容に関わらず、プレゼンをしてもらい、初期投資をします。

例えばユーチューバーみたいな浮き草稼業でも、こちらが納得できるようなビジョンとプランが語れるなら投資すると思います。

ではもし就職したい職業があった場合はどうするか?というと、
『楽しみや生きがいで勤めていけると良いな』、と思っています。

その場合、「組織に属する」という感覚でなく、「企画ベースの人間関係」を基準に決断できてこそ、ほんとうに自立した大人といえると思うのです。

しかし、通念的には「食べるために働かないといけない」とされているので、就社的な就職が重視されるのでしょう。
これから先、就職は必須ではない、やりがい、生きがいのために働くという考え方が大切になるはずです。
(これは「長期にわたる累積戦略」と「ランダム性」についてのわが家の見解をもとにした、『ベースとなる既定路線』です)

心理的に頼る先が親から企業組織にすげ変わっただけでは、自立ではない、自立できていないという考えですね。

では、どういった教育にお金を使うか?

大学も就社も本質的に必要ない。と理解できたとして、
じゃあ一体どこに重きをおけばいいのか?というのが問題になると思います。

幼児教育は色々言われてますが、
大前提としては「学びは複利」という考え方を、うちでは採用しています。

これは単なる先取りではありません。その子の発達状況を無視した先取りには意味がありません。
(◯◯ちゃんはうちより3学年先をやってる、あるいは△△くんはうちより1学年遅い。というような「他者比較」観点のイメージです。驕り(おごり)か劣等感しか生まないと考えます)

「自学自習による成長プロセス」を前倒しで身につけることにこそ価値があるので、その枠組みの獲得に重きを置いているわけです。

枠組みがしっかりしていれば、枠組みは雪だるまのように膨らみ、安定します。

字が読めれば文が読めます。

文が読めれば本が読めます。

本が読めれば自学自習ができ、考えることができます。

思考ができれば日々の生活や出会ったものが学びになります。

こうした「ヒト認知の発達プロセス」が複利の根拠です。きわめて普通の話です。

ただし、『いつから』『どのように』導入するかについては、発達の個人差があるので、その子を良く観察しこまめに働きかけて様子を見てみる感じになります。

うちでも試行錯誤の日々です。

特に女の子は私立必須

どの環境に子どもを置くか?を考えた時に、重要なになるのが学校選びです。

わが家の少し特殊な点として、うちの子たちが三姉妹であるということがあります。
みんな女の子ということも考慮して、うちは私立小学校に入れる決心をしました。

てっきり夫が感覚で決めたと思ってましたが(笑)
最近、また違う角度から解説してくれました。

子どもの様子を1年間見たあとにその話を聞いて、

「私立に入れてよかった〜!」

ではなく、

「公立に入れなくて良かった!」

という感想に変わりました。

まず前提として、子どもは群れの影響を濃く受けます
例えば「万引きかっこいい!」というグループにいると、どうにか万引きをしようとし、万引きに成功した友人を賞賛し、時には悔しがります。
このグループにおいて、「万引きは犯罪ではなく競技」なのです。

※ 言うまでもなく、万引きは犯罪です。

だからこそ子どもには「教師と子ども集団の質が大事」なのです。

今回の話は、その話に更に一歩踏み出した話でした。
「女の子は同調圧力が強いので公立はやばい」

「子どもは群れの影響が大きい」というのは普通によく聞く話てす。

近年、多少田舎でも交通の便が良くなったので、
多少遠くても私立中学校を目指す人が増えたのではないでしょうか?

優秀な子どもは私立中学校に進みます。
では残った公立に進む子はどんな子でしょう?
そりゃあ公立志望の優秀な子もいるでしょうが、一世代前の『全員が同じ中学に通う』『玉石混交』という環境とは違ってきてます。

『玉石混交』なら、頭が良い子に触れ、良い影響を受けることも少なからずあったのでしょうが、今や頭の良い子は別の学校に行ってしまうので、触れることすらままなりません。

あ、ちなみに我々が考える頭が良い子とはデスクワーク耐性ペーパーテスト耐性が高い子ではなく、

「結果を引き受けることを理解した上で企画・実践する」というリーダー資質のことなので、誤解なきように。
テストの点が良くても、リーダー資質のない子はごまんといますし、その逆も然りです。

『うちの子、クラスでダントツ頭が良くて、競争できる子もいないから張り合いがないみたい・・・』

それは選んだ環境(そして目的)が間違っていたということなんですね。
頭が良くてリーダーが張れる子はちゃんと他の学校で頑張っていますよ。
(正確には環境がきちんと見えていないという「環境設定」の不整合です。親のミスです)

淡々と成長する子は自分で目的設定して自分で必要なつながりを学外にも作ります。

もしかして学校や塾では目立たない存在かもしれませんし、逆に学校や塾では悪目立ちする可能性もあります。

夫から最近聞かされたのは、この悪目立ちの局面で「男の子は色々と仕切り直しの見通しが立ちやすいが、女の子は厳しい」という話です。

・・・

(ちま母注)
主人の話は主張が明確で正しいのですが、いかんせん素で難しい文章を書くくせがあります。

我こそは!という方は、主人が書いた文章を読んだ方が誤解なく伝わると思いますが、
自信がない方は飛ばして読み進めてください。



いわく「男の子の集団は同調圧力が比較的低いので、イジメ集団の支配領域は比較的狭く、影響力も少ないが、女の子はそうではない

「イジメを受けてる男の子でもイジメリーダーの目のないところでは一対一の関係を見出しやすいが、女の子は同時多発的に関係性がこじれて構造的に孤立する度合いが高い」

例えば「俺のいないところで、あいつと仲良くしてただろ」と第三者の子に凄んだところで、本質的にそう言った者が低く見られるだけなのが男の子集団であり、「私たちのいないところで、あの子と仲良くしてたみたいよ」だけでイジメが成立しはじめるのが女の子集団である、ということです。

ここでポイントになるのは「あいまいな伝聞」の扱いについてです。

男の子集団では「狩りの論理」から、「あいまいな伝聞」ベースで高圧的に出るリーダーを、「無能で弱い存在」と本能的にみなす。
そんなことでは獲物を捕まえられないのが明らかなんだから。

一方、女の子集団では、複雑性やランダム性から、「直接的で断定的な物言い」は共同体で生き続けるのに命取りになることのほうが普通。
家事育児は狩りのようにすぐにわかりやすく結果は出ないし、果物や貝集めは狩りとは別の組織力が必要になる。
簡単に言うと「抜け駆けを許さない」という論理であり、こうした行動原理においては「あいまいな伝聞」の重要度は高くならざるを得ない。

これはおそらく作為的な要素ではなく、すでに遺伝子レベルで「ヒトとしての本能、本質」として刻まれてるだろうことは、ほぼ間違いない。

社会的な作為の結果「男らしさ女らしさ」が形成されたのではなく、
ヒトとしての本質のひとつである「男らしさ女らしさ」に沿って社会規範や制度を最適化させた、ということだ。

だいたいつい最近まで、共同体で生産できる量がとても少なかったわけだから、実利に沿わない枠組みを残す余裕など明らかに存在しなかった。

なのに現代では「男らしさ女らしさ」という感覚があいまいにされているから、表面的には一概に言えないけれど、むしろそのことが問題を深く見えにくくさせていて、破滅的な結果をもたらすことがむしろ普通になってしまっている。
一般の同意は得にくいだろうけど、傷害致死や自死以上の問題というのは現実に存在するし、逆に傷害や教唆や自殺にだけフォーカスしてても構造的な問題解決はおろか、当事者になってしまった子どもを個別に助けることすら十分に期待できない。

ヒトの本質に沿わない抑圧的な作為が諸悪の根源なのに、みんな理解が貧弱すぎる。
教師の大部分は構造的理解という観点からゴミなのが現実だけど、教師だけの責任とは言えない。
共同体全体の課題。現状の正当性を偉そうにのたまうのは本当に頂けないが。

とのことです。

どうでしょうか?読めたでしょうか??

長いので抜粋して解説します。

(以下、引用)

例えば
「俺のいないところで、あいつと仲良くしてただろ」
と第三者の子に凄んだところで、本質的にそう言った者が低く見られるだけなのが男の子集団であり、

「私たちのいないところで、あの子と仲良くしてたみたいよ」
だけでイジメが成立しはじめるのが女の子集団である、ということです。

(ここまで)

女性陣の皆様は子ども時代のことを思い出しただけで「あるある」と同意いただけると思います。
(こういった思い出の「まったく」ない人は意図せずいじめっ子だった可能性もあるので、負の連鎖を断ち切れるようがんばってください!)

プラス方向の関係性は子ども自身の趣味判断におまかせで良いのですが、本当に厄介なのはマイナスの関係性についてです。

関係性は一緒にいる時間が長いほど影響を受けます。
となると考える上で重要になってくるのは学校の友人でしょう。

学校の友だちとは、授業〜休み時間〜登下校〜遊びを考えるだけでかなりの時間を共有することになります。

小学校で出会い、仲良くなった友人とは、長い時間を一緒に過ごすことになります。
だからこそ、小学校選びが大事だと思ったのです。

普通、私立小学校を選ぶにあたっては、ネームバリューや金銭的な余裕からくる階級思考的なものが多いと思います。

うちは「場の設定」「場の機能」という抽象的な要素を重視し、小学校を選びました。

なので決して、『学区内の学校の質が悪い』とか『治安が悪い』『素行が悪い』という具体的な理由からではないというのは、本当に本音です。
(同じ幼稚園から地元の公立小学校に進学した友だちとも仲良くさせてもらってますが、少なくともその子はすくすく育っています)

学校での出会いはコントロールするものではないし、そもそもできないので、その環境(学校)を選ぶのは親の責任だと思っています。

「そんなのどこに行っても変わらないよ」と思う人もいるでしょう。
私たち夫婦は薬剤師であることもあってか、公開データをもとに客観的に戦略を考えました。

なお、一番考え抜いたのは「親自身のエゴになってないか?」という観点についてです。

これは常に自戒する必要がありますね。

まとめ

正直なところ、わが家は教育費ビンボーですw

でもそれだけの価値があると確信して、この道を選び進んでいます。

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