
私自身の取った戦略と指針について(前編)
ちま母の夫です。
これからメインテーマの一角である「戦略」に入ります。
前回は「何故「テレビ離れ」を掘り下げるか」の話でした。
「テレビ離れ」の結論は「テレビ視聴という強力なドラッグは、ロゴスに沿った言語による構造的理解で離脱可能」 これだけです。
驚くべきことに、この文章だけでも、構造的理解をもって実践できている段階の人にはわかってもらえるのですが、まだできてない人や見えてない人には作用できません。それでは意味がないのです、という話でした。
(冒頭の圧縮された文章の中身について、さらに言葉を尽くして説明したり、別の切り口のエピソードを話したり、それは全体を通じてきちんとやりますのでご安心ください)
マスメディアであり、大衆文化の雄である「テレビを意識的に克服する」ということを過小評価してはいけません。習慣を変える、通念を越えるというというのは、なかなか大きな情報的操作であり、精神活動なのです。
この意味で「テレビ離れ」は自分と世界を変えるという事例の良いサンプルになります。
(次の段階の話として「意識的克服(頑張って乗り越える)」から「デザイン変更による抽象度上昇を使った無意識的克服(習慣化デザイン)」への移動がありますが、いつも起点は「個人レベルの意識的克服」です)


・戦略論と戦略思考
・ヒト認知
まず、この二つの軸についてきちんと踏まえることです。
前者は全体の相互作用の俯瞰について、後者は個性(つまり「人それぞれ」要素)についての解釈の基軸になるものです。
この二軸の性質を知っておくことは、知識や実践を本格的に積むことに先立っての良い準備になります。
未知の海原を冒険するだけの知識は、実践を通じて訓練しておく必要がある、そんな感じです。(そしていつでも、それまでの経験からでは予測不能な試練が出てきます)
思えば、戦略の運用というのは、航海術に通じるものがあるように思います。
それは、航海において、「海図」という全体図の上に、自分の現在地と方向性を「コンパス、時計、天体観測機械などの道具」と「天体の動きについての知識」で特定し、実際の舵取りと運行をコントロールすることで、目的地への安全確実な到着を果たすというプロセスです。
なお、wikipediaには「実際の天測航法には、時刻を測るクロノメーターと角度を測る六分儀、天体の位置を知るための航海年鑑(または航空年鑑、天測暦とも)、高度方位角計算のための天測計算表、その付近の地図(海図)を使用する。天測計算表では、足し算と引き算しか必要としない。ノートパソコンや科学技術計算用の電卓があれば、即座に六分儀の測定値から位置の線を求めることができる。手で計算する方法であっても、1日か2日の訓練で天測航法の計算方法をマスターできる。 」とあります。この公開情報が正しいとするなら、戦略思考と戦略論への橋渡し役に良さそうです。
これから我々が生きていく時代というのは、複雑性とランダム性、変化の大きさと質的転換という点において、新たな権益を貪欲に求め争った大航海時代よりもはるかに上をいくと考えて間違いありません。
今回は、全体の構造を取ってもらうために、戦略論の方から扱っていきます。
ヒト認知の方については、いまのところ「ヒトは飽きる生き物」とだけおさえておいてください。
ヒト認知については、いまのところ「ヒトは飽きる生き物」とだけおさえておいてください。
ヒト認知の全体像については、次回で扱います。これまた大仰に感じられるかもですが、構造的理解に必要となる前提なのです。
「テレビ禁止」が目的じゃない、戦略的な「習慣からの脱出」
まず、「テレビ禁止令」に至った私の考えのプロセスについて並べます。
・子どもが生まれ、その幸せを願っていた。
↓
・妻は私に、子どもとスルメパズルしたいという欲求を話した。
↓
・子どもには自らの人生を切り開く基礎能力が必要であり、まず身につけるのは自学自習と考えた。
↓
・できれば未就学児の時点で無意識レベルの習慣化を済ませたいと考えた。
↓
・自学自習のための習い事や教材を選んだ。
↓
・試行錯誤で習慣化を進めてきた。
↓
・頭打ちやロスが見えてきた。
↓
・改めて脱構築を試みた。

まとめると、最初から「テレビは見せるべきにあらず」という発想ありきだったというよりも、テレビ以外の努力を色々進めた結果、必然的に「テレビ離れ」の方向性に至ったという感じです。
(「テレビは見せるべきにあらず」と、私には当初からわかっていたけども、その考えのゴリ押しは控えた、ということです。妥協に見えますし、実際その通りでもありますが、無理をしないという意味で本当に良かったと、今では思います)
こうした一連の流れをサンプルとして、構造的な解釈を追ってみせることで、読者の皆さんに戦略論の全体像をつかんでもらおうというのが今回の趣旨です。
それぞれの項目の詳細や、なぜそうなったのかの検討は例によって次回以降にまわします。(構造を取るのに細部の検討が不要であるということは注目に値する事実と思います)
で、うちの事例というサンプルによると「テレビ離れ」が実際になされたのは「改めて脱構築を試みた」という段階を迎えてからです。
これは、私が「テレビ禁止令」を出してから実際に「テレビ離れ」に至るまで、実に半年ほどのタイムラグがあったことを意味します。
ポイントは、私がその半年の間、子どもや妻に対し、テレビをやめる必要性や方法について直接的に、ことさら繰り返し伝えるなどを「していない」という点です。














「現実に戦略を沿わせる」
そして、戦略は個別化のアプローチです。戦略論に現実を当てはめる頭の使い方をしつつも、結果を出す上で実際に重要なのは「現実に戦略を沿わせる」ことです。これはつまり、戦略に血を通わせる過程であり、単なる心構えでなく、とことん機能に注目していくということです。
系全体について「機能として合目的に働いてるか」を基準に、「自分のシミュレーション」と「客観的に捉えられる現実世界」をとことん突き合わせるのです(これが戦略思考を実践に落とすキモです)。
両者の媒介に有用なのが戦略論です。
この辺り、私の説明の拙さもあり、わかりにくいと思います。逆に、何であれ、充分にわかっていると思ったときは警戒した方が良いです。誤解している可能性がありますし、誤解でないなら停滞かも知れません。


続編のお知らせ
次回では「戦略目的を越えた「狙い」」についてです。
各種戦略のパターンや「目的、目標、狙い」といった概念の整理をまとめ、それらを踏まえた総合戦略と最終戦略の枠組みについてお話しする予定です。
続きます。