進学先と目指す職業から逆算した教育方針とは?2020年度版

以前書いたのと重複する部分もあるかもしれないが、改めてまとめなおしてみました。

うちの教育方針について

長女・いちこ・小4
次女・によ・小2
三女・さんこ・年中

「くもんで自学自習を身につける」というところまではたびたび書いてるので伝わってると思います。
しかし、その先についてはまた明言してなかったですね。

このままでは「目的もなく、くもんさせておけば安心」という家庭と区別がつかないと思ったので、その先のことを書いてみようと思ったのです。

くもんには欠点があるので、くもんさせとけば安心ということはないです。注意が必要なのですが、それは別の話。

★ くもんプリントを子どもに預けて放置・・・じゃダメなの?!

くもんをさせる目的は自学自習の獲得で、
進度の目標は高校卒業程度の算数・数学と読解力(国語)です。

要は早ければ小6、遅くても中3ごろにはキリがつくでしょう。

学校に通うのはあたりまえ・・・じゃない!?

この中学生時代・・・13〜15歳の多感な時期は、本当なら学校の定期テストや義務的な部活動に追われるのはもったいない時期です。
学校で学びたいことがあれば学校に通ってもいいし、身につけたいスキルがあったら専門家に弟子入りしてもいい。ビジネスがしたれけば・・・農業がしたければ・・・スポーツがしたければ・・・

フリースクールの話題にもあるように、学校に通うことが唯一の正義であり王道という風潮に疑問が持てる世の中になってきています。
(一昔前は完全に人生アウトの案件でした)

学校に通うことは当たり前じゃないんです。
でも同年代の子をまとめる体験がしたい、
身元がある程度ハッキリしている人向けにコミュニケーションの練習がしたい、など、
目的があって学校に行くのはアリですが、ただ目的もなく、

みんなが行くから・・・
学歴が欲しいから・・・
義務教育だから・・・
就職に有利そうだから・・・

という理由で学校に行くのでは、時間がもったいないです。

そもそも親が想定する『義務教育』というのは学問を学ぶ下地を作り、同年代の子と集団行動ができるように、というものではないでしょうか。
日本の義務教育は優秀な工場労働者を作るというものと言われています。工員は大勢必要でしたからね。
もちろん優秀な工場労働者が大勢輩出できたからこそ、今の日本があります。立派な先輩方です。

なので、その先輩方世代に育てられた私たち親世代は横並びの工場労働者を目指すことが幸せへの近道だと信じて疑いません。

しかし、しかしですよ。
今の子どもたちが育った先に、コンベアに乗った歯磨き粉のキャップを閉め続けるような仕事が必要でしょうか?
(チャーリーとチョコレート工場より。映画中でも誰でもできる単純労働の比喩として使われてました。チャーリーの父も機械が導入されたためにリストラにあいましたね。)

先達を否定することはありません。
時代が違うのです。
過ごす子ども時代の環境も変わってきています。
学校もそうです。

今やインターネット社会が進化して、授業もバーチャルに、集団行動もバーチャルになりつつあります。
学校では管理をしやすくするために同じ年の子どもでクラスをわけましたが、本来は年齢がバラバラなほうが学ぶことが多いと言われています。
実際集めるのも一興ですが、(いつかやりたいですねw)
バーチャルでの集まりなら実現のハードルは低いです。住んでいるところ関係なく会えますしね。

もし集団をまとめ上げる体験を学校に行く理由として挙げるのなら、集団行動は学校に集まらなくてもできそうです。

受験は学力さえあればどうにかなる

長女は小4です。2年後の中学受験に合格するため今から仕込む!というのはわが家には関係ないし、その努力は無駄だと思っています。
私立中学に通うために今の中学入試問題を解かせることが無駄なんです。
とんでもない難易度の整数問題が出るようですね!
それだけ抽象的思考ができるなら、他のところ伸ばしなさいよ・・・って主人が言ってたw

目指すべき未来は・・・?

将来、子どもに何になってほしいか?どの親も考えると思います。

家業を継いでほしい?
良い会社に入ってほしい?
公務員になってほしい?

色々あると思います。

私は将来何をする人なるかは子どもが決めるべきだと思っているので、仮想でも将来ついてほしい職業についてはリストアップしていません。

ユーチューバーでもプランがしっかりしているようなら応援するし、出資もすると思います。
(うちの子が大きくなった時にユーチューブがまだあるかわかりませんが)

目指すべき未来は決めていないのですが、『これは避けたい!』という未来ならあります。

『つぶしがきかないもの』です。
努力や貴重な時間を費やすだけ費やしてあとに残らない。
そういった方向のがんばりは最小にしたいと考えています。

例えば、うちには中学受験は必要ありません。
だったら、中学入試の勉強はしませんよね?

それでもたまにいるんです。
『うちは中学受験必要ないんだけど、勉強だけして、模試で私立中学志望の子より良い点がとれた』という青写真を描く人。

これ、一番無駄です。リソース(時間と意志力)の無駄。
両方、限りがあるものだから、大切に使った方がいいと思うのです。
どうしても教育要領を越えたくない、もうやることがない、というならやむを得ないと思いますが。

中学受験の算数は中学以降の数学では一つも使わないし、むしろ足を引っ張るとさえ言われています。

中高一貫に入った子は一番初めの数学の授業で、『今までやってきた算数は全て忘れなさい』と釘をさされるらしいです。
あんなに時間をかけ、一生懸命になって覚えて、手を動かして、できるようになり、憧れの希望校に合格できたらそれは不要。

あんなにがんばったのに・・・!

その界隈では有名な話です。
それだけ違うことをやるのですね。

私ごとですが、同じような体験をしました。
ロシア語を習いたての時、
Rは「ヤ」と読んだり、
Pは「る(巻き舌)」だったりして混乱しました。
なまじローマ字が読めるせいでロシア語学習の足を引っ張っているのですね。
娘もなまじローマ字が読めるものだから混乱していました。

この算数と数学はなまじ同じ数字という道具を使うせいで足を引っ張るのです。

「はずれ値」のいない小学校

うちの娘が通う小学校には入試があります。

年長さんが受ける入試です。特別な難易度ではありません。
先生の話をよく聞けるか?とか、
お友だちとの関わり方や面接などがありました。
あと保護者面接も。(家庭の教育方針は学校で子どもを教える上でとても重要なので重視されたと思います。選民思想の強い金持ちモンペじゃ、関わるだけリソースの無駄ですから)

試験自体は「楽しかった〜〜〜!!」と子どもたちがスキップで回転しながら帰ってきて、ほほえましく見守る引率の先生、
という「入試」のイメージを完全に覆す雰囲気でした。
お利口にしてないと不合格になっちゃうんじゃないの?!とヒヤヒヤしましたw

「によね〜!明日も遊びに来たい!」
「あはは・・・(合格したら来年から来れるよ?って言いたいけど言えない)」

というわけで、クラスメートはみな、ある程度のお受験を乗り越えてきているので、そこそこお行儀は良いし、問題行動をとる子はほぼいないです。
中には「体力余っているねー汗」という子もいるにはいますが。

主人はちょっとそこが不満なようで。

みんなお行儀がいいのは別に悪くないのですが、『抜きん出た子がいない』のです。

抜きん出た子、、、

抜きん出た子で思い出すのが、私が公立中学に通ってた頃、やんちゃで悪ガキで不良で、将来ヤンキーになるのは確実な男の子がいました。
授業中はノートもとらず、床に穴を開けたり机に穴を開けたりしていました。(何やってんだw)
しかし、その男の子は地頭が良いのです。
もともとの地頭の良さに「大人の言うことに従わない」という反骨精神が手伝い、たまに授業に出ては先生の板書を指摘したり、訂正したりしていました。

テストの点は毎日授業に出ている私の方が圧倒的に良いのですが、その男の子の地頭の良さと反骨精神に憧れましたねー。
彼は高校に行ったのかしら、、、?

まあ、そんな感じで一風変わった子がクラスに一人ずつくらいはいたわけですよ。

どんな集団にも大半は有象無象ですが一定の「はずれ値」はあります。その「はずれ値」が集団を大きく飛躍させる起爆剤になることが『あるある』らしいのですが、娘たちの通っている小学校は良くも悪くも「はずれ値」がいないのです。

「はずれ値」がいないということは問題行動が起こる可能性が低いということなので、だいたいにおいて良いこととして語られます。
しかし、起爆剤(はずれ値)がない、とはどういうことか?

公立小学校のメリットは唯一これです。「はずれ値」がいること。
覚えておいてください。
(「はずれ値」が自分の子どもに良い影響を及ぼすか?はハズレくじの多い宝くじですが、中には当たりも入っています。)

しつけの成功は問題行動をしないこと?

前述した問題行動。

小学校等で問題行動をされると困りますし、学校などから呼び出しをくらったり、謝罪したり、と肩身がせまい思いをするかもしれません。
しつけがなっていない、と言われるかもしれません。

では、問題行動をしなければ「しつけ」は成功なのか?

問題行動をしないだけでは「しつけ」の成功とは言えません。

幼少の時から厳しく躾けられている子や受験対策を長期間やっている子に多いのですが、問題行動以前にその機能が死んでいることがあります。
システムが健全に働いていない、ということです。

そのシステムが死んでいると、家でも学校でもおとなしいので、「お利口さん」といわれます。
大人の言いなりで反論がなかったり従順だったりする子には注意が必要かもしれません。

うちの場合、娘たちが割とよく指示に従ってくれるのですが、
(手がつけられないほど喚く、とか、意地を張ることがあまりない)
それを見ていた主人が『機能が死んでいる可能性もチェックしないと』と思っていたようです。

ある日、娘たちが子どもどうしでボードゲームをしていて、本気になって勝負したためケンカ寸前までヒートアップしているのを見て、

娘たち「ぎゃー!」「ぎゃー!」
父「ああ、うちの子は大丈夫だね」
娘たち「ぎゃー!」「ぎゃー!」
と言っていたことがありました。

ある程度の年齢になったら、『幼少期のアウトカムのチェック』が必要だと思います。
どれくらいの発達段階で、どんなところをチェックするかは今後主人が考えます。(丸投げ)

さいごに心構え

今ある理想的な状況は子どもの潜在能力であると理解すること。
本当のところは誰にもわからないのだから、潜在能力であるという考え方を採用すると、親は謙虚でいられます。

子どもが何か頑張った時に、親が「さすが私の子!」と自分の成果にしてしまったら、さっぶいですよね。
たまにいますよね。「父さんが月謝を払ったおかげだ」「母さんが宿題を見てあげたからよ」みたいな。
サッブイですね。

子どもが頑張ったから一定の成果が出た。
親がしたのはごく一部です。
送迎だったり、授業料の支払いだったり。楽しい気持ちで教室に入れたり、楽しい気持ちで家に帰れたりする雰囲気作りだったり。

それも大事な親の仕事ですが、一番頑張っているのは子どもであると腹落ちしましょう。

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