だらだらやって、はかどらない「朝くもん」。
監督中の母親から「集中!」と檄が飛びます。
この場合、改善すべきはどこでしょう?
だらだらやってる子ども?
それを監督している母親?
今回の一件では子ども自身が「時間の把握」ができておらず、
それを教えもしなかった母親が問題になりました。
具体的な解決方法とともに解説します。
時は(どんな過ごし方をしていても)過ぎる!
「時間は放っておいても流れる。」
単純な事実であり、大人ならみんな嫌が応にも身にしみて知っている事実です。
知ってはいるけど、
時間の感覚がなく、だらだらしてしまう、、、
というのは実際に大人でもよくあることだと思います。
「出かける準備は15分あれば大丈夫!」と思っていたのに、気がついたら30分!
待ち合わせに遅刻しそう・・・?!
慌てて『遅れますΣ(゚д゚lll)』とメールする。
なんて経験は誰しもあるのではないでしょうか?
しかし、子ども時代は時間の感覚がほぼありません。
何時間も遊んで「もういい加減、満足でしょ!」と思っても、帰るときにはブーイングされたり、
仮に『ゲームは20時まで』と約束があっても守れなかったり(そもそも時計を見なかったり)します。
自分の中の時間は『好きなことをしてる時』と『嫌なことをしている時』では時間の流れが違うので仕方のないことです。
楽しいことはあっという間、
嫌なことはいつまでも時間が過ぎない。
そういうものです。
好きなことに集中でき、いつまでも集中できるというのは本来は長所なので、できれば伸ばしたいところではあるのですが、
社会的な生活(人との関わりの上で成り立つ生活)を送る上で困ってしまいます。
たびたび待ち合わせに遅刻してくる友人とはだんだん疎遠になるでしょうし、
ビジネスならそこで話が終わってしまうかもしれません。
同じクオリティの仕事ができる人なら、時間や納期が守れる人のほうがよい話が来るでしょう。
Amazonが完全に日本のインフラになっているのは予定通りに(いや予定以上に)早く配送されるからだし、
日本の電車や飛行機は予定通りに動くからこそ、日本のビジネスを影で支える立役者になりました。
(発展途上国の乗合バスのように、「満席になったら発車します」というようなスタンスではこうはいかなかっただろう、というわけです。
道路状態が悪く、移動距離の長い国では仕方のないことですが。
コストもかかりますし。)
時間の使い方、時間のコントロールは自分のマインドももちろんですが、時間感覚の練習が必要です。
急にできるものではないので、徐々に身につけさせよう、というわけです。
どうしてこうなった?!『だらだらくもん』
ある日、長女がだらだらと『朝くもん』をしていました。
その日は出かける予定があったのですが、
午後からの予定だったので時間に余裕がありました。
時間に余裕があったため、私は
「多少遅れてもいいや」「午前中に終わればいいや」
くらいのつもりでいました。
しかし、長女は気が乗らず、
妹にちょっかいを出したり、来客に気をとられたり、プリンセスに仮装したり・・・。
「やる気あるの?!」
「おでかけできないよ?!」
「もうやめる?」
などと声をかけると、やり始めるのですが、しばらくするとまた気が散ってしまいました。
スムーズに進まず憤る母。
主人に「長女がくもんしない」「進まない」とエマージェンシーメールを送りました。
主人から電話。
状況を説明すると、
主人「今日、出かける予定があるって言ったの?」
ちま母「言ったよ。それでも気が乗らないみたい」
主人「何時に出るって言ったの?」
ちま母「言ってないよ」
主人「なんで言わないの?」
ちま母「あー・・・」(ホコ先がこっち来たわ)
主人「それ言わないと、メドが立たなくてだらだらやるだけだよ」
ちま母「あー・・・」(そう言われればそうか)
何時に出かけるのか決まっていなかったため、
『とりあえず、くもんプリントと学校の宿題が済んだら、出かける時間を決めよう』
と思っていたのが裏目に出たようです。
時間の感覚を身につけさせる訓練 in朝くもんタイム
主人からこんな提案。
長女・いちこももう2年生。
自分の仕事がどれくらいかかるかはもう把握してていい年です。
『自分の仕事が想定した時間より長くかかる、短く済む』というのはよくあることだと思います。
今までの朝くもんタイムは、「今日の分が終わったら終わり」とか、
「9時になったら終わり」という形で、子どもが自分で管理していませんでした。
大人が大人の基準で管理していました。
しかし、それではいつまで経っても時間の感覚を身につけられないままでしょう。
今日の分のプリントを目の前に置いて、
「今日はこんな内容ですが、何分くらいかかりそうですか?」
と聞いてみる。
例えば子どもが強気で「10分!」と答えるとする。
※ 強気の答えが出るのは『すばらしいこと』なので、「現実を見ろ!」みたいなことは言わない方がいいらしい。
「お母さんは50分くらいかかるんじゃないかな?と思うよ」
と、親の推測を(やんわり)伝える。
くもんプリントをスタートさせ、『子どもの予想時間10分』たったところで、どれくらい進んだか確認する。
強気の目標時間だった場合、完了していることはあまりないはず。
でも強気な意見は尊重した方が成長したあと良い影響を及ぼすため、プライドをへし折らないように慎重に。
会話例)
母「10分で2枚できたの?!すごいね!お母さんは全部で50分かかると思っていたから、続けててもいいよ。あと何分かかりそう?」
子ども「うーん、あと10分かな?」
母「うん、お母さんもそれくらいな気がする」
子どもが宣言したオマケ時間分たったところで、どれくらい進んだか確認する。
もしそこで終わってなかったら、会話を繰り返す。
最終的には大人の予想時間50分がたったところでなら、ある程度できているはず。
(→まったく進まないようなら別の話です)
その日の予定によっては「じゃああと15分あげる」でもいいし、打ち切って『残りはいつやるか?』宣言させてもいい。
それは子どもとの対話に任せる。
といった内容でした。
反省するちま母
たしかに気が散ってはチクチク言われるという、
『出口のない苦行』みたいな環境になっていたなあ、と反省。
長女は気が散ってはいましたが、なんだかんだプリントは進んでいたし、
算数は一気に1枚ずつはしていました。
(小さいうちはプリントの途中で投げ出すことも多いので、進歩です。
ただ当たり前になっていたため、盲点になっていました)
時間的な制限を設けることで、集中しやすくする、というのは手ですよね。
ようし、早速実践です!!
実践した感想と成果
早速、次の機会の朝くもんタイムから実践してみました。
<ビフォー>
だらだらと遊びながらくもんプリントをやり、
大人が「もう出かける時間だよ!」と言うまで続けることが多かった。
最長2時間以上。
↓
<アフター>
算数25分!と宣言し、30分で終わらせたり、
国語15分!と宣言し、10分で終わらせたり、
と予測に多少の誤差はあれど、合計時間がぐっと短くなった。
<結果まとめ>
最近では算数国語合わせて40分くらいで終わることが増えました。
朝の時間も有意義に使えています。
1日の枚数は難易度に応じて枚数を変えたかったので、プリントの所要時間で決めてましたが、だらだらしてる時は『実際何分かかるのか?』がわかりにくく、なんとなく決めてました。
目標時間を決めるようにしてからは、本気で解いた時の所要時間がハッキリしたので、時間と枚数を管理している面からも助かりました。
子どもも『だらだらしてると遊ぶ時間が減る!』と理解したのかどうなのか、
朝くもんのこなしっぷりがすごいです!
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