主人から、『テレビ禁止令』についてのコメントの続きが届きました。
前回分をまだお読みでない方はこちらからどうぞ。
テレビ禁止令【主人からの返信】第1通目 | | ちま母
ちなみにこの記事への返信です。
テレビ禁止令 | | ちま母
ちま母の夫です。
テレビ禁止令の件についての続きになります。
前回は大まかな私のスタンスについてでした。
ざっくりいうと「ゆるくいく亭主関白」ですね。
ちなみにまたもや前フリです。テレビ批判の構造はおろか、中身にもまだ入りません。私自身書いていて驚きました(笑)
結論を一文に圧縮したものだけ先にリンクしておきます。→(リンク設置予定)
「テレビ批判」の結論はそれなりに整合するよう考えましたが、まあ、至って普通のものです。そして、中身だけをいくら正確にお伝えしても、それだけではほとんどの方の役に立たないと思われるのです。
ようするに「テレビ離れ」が既にできてる人は腑に落ちるが、まだできない人には腑に落ちず、本人視点での必要性がない人には構造が見えない。整合する理論でもそのような限界があるものです。
ましてや、「テレビ視聴」なんていうのはありふれすぎた内容です。個別事情を正面から考慮しては収集がつきません。
これを「人それぞれ」で済ませることはたやすいですし、基本的には趣味判断の話です。最終的には個々が決めることではあります。
しかし「テレビが教育に良いとはいえない」という考えは広く普及しています。これは「必要悪」という共通見解です。
「日常的な所作について、広く合意されている課題だけれど、実践が難しい現状がある」このようなねじれの明確な事柄ゆえに注釈が必要であり、同時に、だからこそ「決断と指針」の実践事例として有用であると私は考えました。
「テレビ離れしました、自学自習が上手くいくようになりました」という話の流れにたぶん疑問の余地はないけれど、読者のみなさんにとって、自分ごとにするには足りないと思ったのです。
というわけで、今回は本腰を入れて「人それぞれ」のアプローチと中身にこだわることにしました。 発展途上で拙いものではあるけど「私基準で、現環境で、この程度は」というものにはなっています。
(記事に私基準での充分を求めたら、量が多く込み入ったものになりました。この辺りは要改善ですね)
改めて後述しますが、実際「テレビ離れ」はわかりやすく潮目が変わったポイントでした。
手法や結論にも自負はあるのですが、背景文脈、そして全体の流れから何かお役に立てるところがあれば幸いです。
以下、予定している全体の構成です
(1) ごあいさつ
(2) なぜ「テレビ離れ」を掘り下げるか
(3) 私自身の取った戦略と指針について
(4) 前提となるヒト認知の性質について
(5) 我が家の環境、背景について
(6) 具体的に言ったこと、やったこと、背景にある考えの検証
(7) 認知教導というアイデア
次回は(3) 「私自身の取った戦略と指針について」です。
戦略というのは大きく誤解されている概念のひとつです。
・戦略とは何か
・目的、目標、狙い、この3つの違い
・基本的な勝ちパターン
この辺りについて、今回の件を通じて私自身なりに振り返ってみようと思います。戦略とはなんだか大仰ですが、役に立つ考え方ではあるので期待してみて下さい。
続きます
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